ヘブロン Hebron

パレスチナの都市の中でも、青銅器時代からの古い歴史を持つヘブロン。アラビア語ではアル・ハリール(Al-Halil)という名で、「神の友人」を意味します。

人口は16万人、周辺地域を合わせると50万人以上と、東エルサレムに次いでパレスチナ西岸地区では二番目に大きな都市で、住宅地も広がり中心部は近代的です。

ガラス・陶芸・採石などの産業は昔から盛んで、現在でも西岸地区の経済の中心地でもあります

ヘブロンには「アブラハム・モスク」(マクペラの洞穴)という、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の祖であるアブラハムやその家族の墓があると信じられる場所があり、3つの宗教の重要な聖地となっています。

1967年の第三次中東戦争後、イスラエルはこの地を「開放」しましたが、現在も入植活動と一部の支配は続けられており、パレスチナ国内でありながら、市内(特に旧市街周辺)ではイスラエル兵がわが領土の如く闊歩しているのが散見される、他の都市とは雰囲気の違う都市です。

占領下にある旧市街は、他のパレスチナの都市とは空気感がかなり違う

1997年のヘブロン合意(段階的に、イスラエル軍をヘブロンから撤退させることに合意したもの)を経て、パレスチナ当局が管理するH1(市の80%)と、イスラエル当局が支配下に置くH2旧市街の一部を含む市の20%)の二つのセクションに分けられるまでに、イスラエルの撤退が進んではいますが、現在でもイスラエル軍や入植者によるパレスチナ住人やジャーナリストへの脅しや暴力も横行しています。

しかしながらヘブロンに住むパレスチナ人は非常に強かで、またホスピタリティーに熱く、常に外国からの旅行者を温かく迎えてくれます。是非現地のツアーで訪れて欲しい都市の一つです。

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ヘブロンの歴史

紀元前2000年

町の原型が出来る。旧約聖書に登場するアブラハムがここで妻サラをマクペラの洞穴(現在はアブラハム・モスク)で弔ったのも、紀元前18世紀頃と考えられている。

紀元前13世紀

エドムの国の重要都市の一つとなる。

紀元前1世紀

ローマ帝国支配下のヘロデ王の時代に、アブラハム・モスクの前進となる建物が作られる。

ヘブロン アブラハム・モスク全景

増改築を経て大きくなっていった現在のアブラハム・モスク。

この頃から既にヨルダン川の東側との交流も活発になっており、ヘブロンは交易地として発展していく。

4世紀

アブラハム・モスクは、コンスタンティヌス帝の時代に、教会となる。

7世紀

パレスチナが7世紀にイスラム勢力に支配されるようになると、教会はモスクに変えられる。

11世紀

十字軍がパレスチナの地を陥落すると、ヘブロンは「カステリオン」(Castellion Saint Abraham)という名前に変えられる。

この十字軍の時代に、モスク内の洞窟でアブラハムやイサクの骨が発掘される。

12世紀

アイユーブ朝のサラディン王が再びこの地をイスラムの勢力下に置く。町の名前は「ヘブロン」に戻される。

13世紀

続くマムルーク朝の時代に向けて、次第にキリスト教徒やユダヤ教徒は疎外され、ヘブロンの町はイスラムの町となっていく。

18世紀後半

エジプトからの交易の中継点として、商業地として重要な地点となる。

19世紀末~20世紀前半

シオニズムが活発化。

ユダヤ人が入植し始めると次第にユダヤとパレスチナ人との間に暴動が起きるようになり、1929年の嘆きの壁事件以降は、イギリス軍が一旦ユダヤ人コミュニティーを町の外に退避させました。

1948年

第二次世界大戦が終結した後の1948年、イスラエルが建国される。

大量のパレスチナ難民がヘブロンなど南部の都市に多く流入。

1967年

第三次中東戦争でイスラエルがアラブ軍に勝利すると、ヘブロンも占領下に置かれ、それ以降は次々と入植地が作られていく。

ヘブロン 旧市街住宅の屋上からの様子

旧市街住宅の屋上から。入植者による嫌がらせも横行しています。