ジェリコ Jericho

ジェリコは海抜マイナス260mにある、世界で最も低地に位置する、世界で最古の都市

アラビア語で「アリーハ(ArRiha)」、「パームやしの町」という意味の通り、南国のような雰囲気がある都市で、人口は約20,000人です。

ジェリコは海抜がマイナスの世界最「低地」の都市。冬は温かく、リゾート地にもなっています。David Lisbona

クレオパトラが所有していたことでも有名なこの都市は、古代の遺跡が豊富で、パレスチナ観光では必ず訪れたい場所の一つです。

低地のために夏は非常に暑く、冬でも寒さは穏やか。ヨルダン川沿いにあり太古から「砂漠のオアシス」と親しまれ、現在も冬になるとパレスチナ各地から温かい場所でバカンスを過ごそうと多くの家族連れで賑わいます。

農業も盛んで、パレスチナ各地で売られている農作物の大部分はジェリコ産。特にジェリコのデーツ(なつめやし)は世界で最も美味しい高級デーツとして知られています。

ジェリコの歴史

紀元前1万年~9000年頃

狩りをする人間たちが、キャンプ地としてこの地に住み始める。

紀元前6世紀まで

破壊と再建が繰り返されながら、テル・アッスルターンのある場所に町が繁栄する。

テル・アッスルターンは、周囲を壁で囲まれた世界最古の集落と言われている。

紀元前539年

アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が現在のジェリコの場所に町を作り、バビロン捕囚からユダヤ人を帰還さる。

紀元前336年~323年

ジェリコはアレキサンダー大王の私有地として使われるようになる。

紀元前1世紀

セレウコス朝の時代に城塞が作られる。

そのうちの一つは紀元前37年に即位したヘロデ王が再建した「ワディ・ケルト(Wadi Qelt)」である。

ヘロデ王は、冬の宮殿や闘技場などを建設。用水路システムを敷くなどし、ジェリコは農業や交易の中心地、また避寒地として大きく発展する。

ヘロデ王の冬の宮殿跡。

70年

ローマ帝国に反抗したユダヤ人がユダヤ戦争で敗北。

エルサレムが陥落すると、ジェリコはローマ帝国の一要塞となり、町が衰退する。

4世紀

ビザンツ(東ローマ)帝国の時代入ると、キリスト教が国教になる。

新たにErichaと呼ばれる町が作られ、キリスト教徒の町として再び発展。町には多くの教会が建てられる。

5世紀

聖ジョージ修道院が建設される。これは614年にペルシアの攻撃によって破壊された。

638年

初のイスラム王朝であるウマイヤ朝がエルサレムを征服。ジェリコはイスラムの勢力下に。

740年頃

ウマイヤ朝の第10代カリフ、ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク(Hisham ibn Abd al-Malik、在位724–743年)の時代には、テル・アッスルターンの北にヒシャーム宮殿が建設される。

有名なヒシャーム宮殿のモザイク。random exposure

しかし、ヒシャーム宮殿は747年の地震で破壊。ウマイヤ王朝も750年にアッバース朝に倒される。

~10世紀

アッバース朝・ファーティマ朝という続くイスラムの支配の下、ジェリコは農業地として更に発展。

今日でもジェリコではバナナ・デーツの栽培地として有名だが、この頃から既に高い評判を得ていた。

1071年

セルジューク朝トルコの侵略を受け、続く1099年にはヨーロッパからやってきた十字軍が勝利、パレスチナの地は再びキリスト教の勢力下になる。

1179年

十字軍が聖ジョージ修道院を再建。町にも新たに教会を建設するなど、キリスト教化が進む。この頃にサトウキビの栽培方法が伝わる。

1187年

1187年にエジプトからやってきたサラディン王のアイユーブ朝が十字軍を倒す。ジェリコは再びイスラム教勢力下に置かれる。

中世

オスマン帝国時代にも、ジェリコはベドウィンの襲撃にも度々遭うなどし、徐々に衰退し。

19世紀後半

ヨーロッパからの考古学者が遺跡の採掘を始め、テル・アッスルターンや聖ジョージ修道院などが発見される。

20世紀前半

第一次世界大戦の後にオスマン帝国が崩壊。

ジェリコは他のパレスチナの都市同様、イギリスの管理下に置かれる。第二次世界大戦後の1948年にイスラエルが建国されるまでは、町はいたって平穏であった。

1948~1949年

イスラエル建国直後の第一次中東戦争の後はジェリコはヨルダンの統治下となる。

イスラエル建国により発生した多くの難民がジェリコにも押し寄せ、合計7万人以上を保護する3つの難民キャンプが建設される。

その後同年末のジェリコ会議で、エルサレムを含む西岸地区は正式にヨルダン領土に加えられ、ジェリコ市民もヨルダンの国籍を得る。

1967年

第三次中東戦争でイスラエルが勝利。ヨルダンは西岸地区をイスラエルに奪われ、西岸地区は占領状態に

1993年

入植地を縮小するという「オスロ合意」が結ばれる。

1994年5月

ジェリコはパレスチナでは一番最初に、パレスチナ政府の自治統治権を得た市となる。

2001年

第二次インティファーダの時には再びイスラエルに占領される。

現在

現在はイスラエル軍は撤退。パレスチナ人や外国人の観光やリゾートの町として、再び発展しようとしている。