ナビー・ムーサ

ムーサとは、アラビア語で預言者モーセのことで、モーセの墓だとされるこの場所には現在モスクが建てられています。

荒野に現れる大きなモスク。Chalky Lives

モーセはエジプトからヘブライ人をシナイ半島に連れ出す際に、海を割ってファラオの追っ手から逃れたという伝説のある、旧約聖書やコーランに登場する預言者。

旧約聖書には「モーセはモアブの谷に葬られたが、その場所は誰も知らない」と書かれているため、ユダヤ教徒はここをモーセの墓とは認めていません

ナビー・ムーサでは、クリスチャンのイースターの時期と重なる時期に、サラディン時代から続くフェスティバルが毎年開かれます。

1920年のフェスティバル、エルサレムを経つ巡礼者たち。

エルサレムのアル・アクサ・モスクからナビー・ムーサまで練り歩き、ナビー・ムーサでの5日間の催しの後にまたエルサレムに向かって歩いて戻ります。

ナビー・ムーサの歴史

1269年

十字軍がパレスチナから去った後のマムルーク朝時代に、エルサレムからジェリコに向かう途中のこの場所にモスクが建設される。当時はまだ小さい建物であった。

1470年

巡礼者のためのホスピスとミナレット(塔)が増築され、巡礼者が増えるにつれ徐々に大きくなっていく。

1820年頃

オスマン帝国時代に改築が行われ、フェスティバルも帝国の宣伝により盛り上がりを見せる。

モーセの墓と信じられている場所。Md iet

1920頃以降

第一次大戦後、パレスチナはイギリスの管理下となる。

1937年

ナビー・ムーサのフェスティバルが禁止される。

1948年~

第二次大戦後は、ヨルダン、イスラエルと、支配者が変わる。モスクは軍事基地として利用される。

1987年

ようやく巡礼が再開される。

しかしその年の12月に第一次インティファーダが勃発。イスラエルが再びフェスティバルを禁止。

1992年

オスロ合意が締結される。

1997年

再びフェスティバルが行われるようになる。

2000年

9月に第二次インティファーダが勃発。フェスティバルは再びイスラエルに禁止される。

2007年

フェスティバルがようやく再び復活。

ナビー・ムーサの情報

  • ジェリコ市街地より南西へ約8km
  • 8:00-日没まで
  • ジェリコ市街から往復で50NIS程。※他に交通機関がないため、見学中はタクシーに待機してもらいましょう。
  • 無料