イエスが有罪と判決されてから、ゴルゴダの丘(現在の聖墳墓教会がある場所)まで十字架を背負って歩かされたとする道が、「悲しみの道」を意味するヴィア・ドロローサ。
イエスのエピソードを思いながら歩けば、より観光が奥深いものとなります。
ヴィア・ドロローサにはおよそ1kmの道のりに14のステーション(留)があり、それぞれの留でイエスのエピソードを思いながら、キリスト教徒は巡礼します。
毎週金曜日の15:00には、フランシスコ派の修道士が、第1留から14留まで十字架を担いで行進します。
行進には多くの巡礼者や観光客が訪れ、狭い旧市街の道は人であふれかえります。
第1留 ピラトによって死刑判決を受ける
エル・オマリヤ・スクール Madrasa al-Omariya
ピラト(ピラトゥス)はイエスを裁いたローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督。この場所でイエスは死刑の判決を受けました。
現在は学校の校庭となっている場所が、行進のスタート地点。James Emery
当時はアントニオ要塞がここにあり、その中でイエスは判決を受けたと考えられていますが、ヤッファ門の近くであったという説もあります。
第2留 十字架を背負わされ、鞭打ちを受ける
鞭打ちの教会 Chapel of the Flagellation
十字架を背負わされたイエスは、茨の冠を被せられ、ローマ兵士達に鞭で体を打たれます。
鞭打ちの教会は、現在はカトリックが管理する、ムスリム地区にある教会。
内部のステンドグラスには、鞭打ちを受けるイエスの様子が。ドームには茨の冠がデザインされています。
鞭打ちの教会のドーム。young shanahan
第3留に行くまでの間には、立派なアーチが有名なエッケ・ホモ教会(Ecce Homo Church)があります。
エッケ・ホモとはラテン語で「この人を見よ」という意味で、ピラトが群集に向かって「この男(イエス)を見よ」と叫んだそうです。
第3留 最初に倒れた場所
ヴィア・ドロローサがエル・ワド通り(al-Wad St.)とぶつかる、現在はアルメニア使徒教会のチャペル(聖堂)が建つ所に、イエスが最初に倒れたと言われる場所があります。
アルメニア使徒教会の小さな聖堂に、倒れるイエスのレリーフが。Sek Keung Lo
福音書にはイエスが倒れたという記述はありません。
聖堂は19世紀に建てられたもので、1947年から1948年にかけて、アルメニア使徒教徒のポーランド兵の寄付によって修繕されました。
第4留 聖母マリアがイエスを見つめる
苦悩の母マリア教会 Armenian Church of Our Lady of the Spasm
1881年に建てられたアルメニア使徒教会の教会。Sek Keung Lo
聖母マリアが、十字架を背負う自分の息子を見たとされる場所。
第5留 キレネ人シモンがイエスの代わりに十字架を背負う
キレネは現在のリビアに位置する町で、シモンはエルサレムに巡礼に来ていたユダヤ人だったそうです。
たまたまそこに通りがかったシモンは、ローマ兵に半ば無理矢理に十字架を背負わされました。
エル・ワド通りから右に入り、再び西に向かう。Francisco Martins
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
マルコによる福音書 15章21節 日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』
第6留 ベロニカのヴェールで汗を拭く
十字架を背負って歩くイエスに、ベロニカが汗を拭くようにイエスにヴェールを差し出し、イエスはそれを受け取って汗を拭きヴェールを返すと、そこにイエスの顔が浮かび上がったという奇跡が起きた場所。
現在はギリシア正教のベロニカ教会が建っています。Britchi Mirela
その「ベロニカのヴェール」は現在、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に保管され非公開となっているそうですが、偽物も多く出回っており、真偽の程は謎です。
第7留 二度目に倒れた場所
「裁きの門」と呼ばれるゴルゴダに通じる門があり、イエスに対する罪状が貼り付けられたそうです。
イエスも向かったゴルゴダの丘へ、階段を上っていく途中にあります。Anton 17
当時のエルサレムの城壁はここまでで、イエスはこの門を抜けて城外にあるゴルゴダの丘に向かったとのこと。
第8留 エルサレムの婦人たちに語りかける
城外に出てゴルゴダの丘に向かうイエスは、ここで嘆き悲しむ婦人たちを慰めたと言います。
石碑には「IC XC NIKA」(ギリシア語で「イエス・キリスト勝利」を意味する)と刻まれています。momo
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
ルカによる福音書 23章27-28節 日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』
第9留 三度目に倒れた場所
ダマスカス門から続くスーク・カーン・エッゼイト通り(Suq Khan Al-Zeit st.)を南に進み、西に入る小さな階段を上り道なりに行くと、木製の十字架が立てかけてある、第9留の場所に着きます。
入り口の右側にある、木製の十字架が目印です。momo
コプト教会の入り口となっているこの場所で、イエスは三度目に倒れたと伝えられていますが、やはり聖書にはその記述はありません。
第10留 衣服を剥ぎ取られる
聖墳墓教会 Church of the Holy Sepulchre
聖墳墓教会の入り口の右側に位置する小聖堂が、第10留です。
第10留は入り口右の小聖堂です。
この場所で、イエスはローマ兵に衣服を脱がされます。
彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。
マタイによる福音書 27章35-36節 日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』
第11留 十字架が建てられる
第10留と隣り合わせになっている、聖墳墓教会内のチャペル内が第11留。
聖墳墓教会の入り口すぐ右側の階段を上ります。Francisco Martins
祭壇には、今まさに十字架にかけられようとしているイエスの画が飾られています。
第12留 十字架の上でイエスが死ぬ
現在はギリシア正教会の管理となっているチャペルが、イエスが十字架にかけられ、息を引き取ったと言われる場所です。
祭壇の下には、十字架が立てられていたとされるプレートがあり、巡礼者の列が絶えません。Sek Keung Lo
祭壇には磔になったイエスのイコンがあり、その下には十字架が立てられた場所を示すプレートがあります。
第13留 十字架から降ろされ、聖母マリアが亡骸を受け取る
第11留と第12留の間に、スターバト・マーテル(Stabat Mater「悲しみの聖母」)という祭壇が設けられ、イエスの遺体を受け取り嘆く聖母マリアの像が置かれています。
スターバト・マーテルの祭壇。James Emery
第12留から階段を降りたゴルゴダの丘のふもと(聖墳墓教会の入り口入ってすぐ)には現在、イエスの亡骸に香油を塗ったと伝えられる赤大理石の台があり、常に巡礼者でいっぱいです。
第14留 イエスが墓に納められる
ヴィア・ドロローサの終点である、イエスの墓。墓石は礼拝堂の奥の小さな部屋に納められています。
部屋は非常に小さい為、常に長い行列が出来ています。
イエスの墓とされる小さな聖堂。常に行列が出来ています。
福音書によれば、当時はアリマタヤのヨセフが所有していた土地だったそうです。