嘆きの壁

嘆きの壁は、エルサレムの旧市街のユダヤ地区にある、エルサレム第二神殿の囲む西側の外壁跡で、英語では「西の壁(Western Wall)」とも呼ばれています。

エルサレム神殿は、紀元前 37 年にローマの支配下の元にユダヤ人の王国を創始したヘロデ王が、紀元前 20 年に改修したものです。

エルサレム 嘆きの壁
1967年以降はイスラエルの占領下になり、パレスチナ人が住む所を壊して広場が広げられました。

壁の高さは現在 21m。

  • 下から 7 段目までは第二神殿(紀元前 516 年から紀元後 70 年)の時代
  • 8 段目から 11 段目がウマイヤ朝(661 年~ 749 年。691 年には神殿の丘に岩のドームを建設)及びファティマ朝(969 年~ 1071 年)
  • 12 段目以上の小さい石の部分はオスマン帝国時代

というように、1000 年以上をかけてこの高さになりました。

壁の左側には貴重な無料(確認:2010 年末)のお手洗いもあります!

見学の注意点

壁に向かって左側は男性・右側が女性と、祈りの場所が分かれています。

男性は、神に敬意を表すという意味で「キッパ」と呼ばれる帽子のようなものを被らなければなりません。

男性パートの壁に向かう途中に白いキッパが置いてありますので、それを借りて壁へ向かいましょう。壁を離れる際には返却します。

エルサレム 嘆きの壁 男性パート
男性はキッパを被りましょう。無料で借りられるものが置いてあります。

ドレスコードがあり、短パン・タンクトップなどは禁止です。カトリックの教会と同じです。

シャバット(金曜の日没~土曜の日没)・フェスティバル開催時は、写真撮影・喫煙・携帯電話の使用は禁止です。

嘆きの壁の歴史

紀元前 20 年

ユダヤ人の王国のヘロデ王が、エルサレム神殿を改修。

70 年頃

ローマ帝国の将軍ティヌスに破壊され、ユダヤ人はエルサレムから追放される。

ユダヤ人はその後、年 1 回しか、神殿の跡を悼むためにエルサレムに入ることは出来なくなる。

中世

年 1 回のエルサレム訪問の風習も、その後のローマ支配・イスラム王朝の支配の間、ユダヤ人が次第にキリスト教やイスラム教に改宗していく中で、なくなっていく。

16 世紀

オスマン帝国下の時代、第 10 代皇帝のスレイマン 1 世が、ユダヤ人に壁で祈りを捧げることをついに許可。

それまでは、ユダヤ人はシナゴーグやオリーブ山など限られた場所でだけ、祈っていたらしい。

1852 年

キリスト教聖地の分割協定 Status Quo が発効されると、ユダヤ人は壁の祈りのスペースの独占権を得て、更に壁の所有権も主張しはじめる。

20 世紀以降

シオニズム運動は更に盛んになり始め、嘆きの壁を独占しようとするユダヤ人に、それまで住んでいたパレスチナ人達は怒りを抑えきれなくなり、ついにはパレスチナ全土での武力衝突に発展。

第三次中東戦争の後 1967 年にイスラエルが東エルサレムも制圧、1900 年にも及ぶユダヤ人の悲願は叶いました。

エルサレム 嘆きの壁 女性パート
ヘブライ語の聖書も。多くのユダヤ人がお祈りしていますので、静かに見学を。

イスラエルによって嘆きの壁周辺のパレスチナ人民家とモスクは取り壊され、祈りの為の広場(Western Wall Plaza)が取って代わり、現在は周りにユダヤ人地区が広がっています。

嘆きの壁の情報

  • 24時間|365日
  • 無料

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