ナブルス Nablus

ナブルスは、900m前後のエバル山とジェルズィン山のちょうど山あいに広がる、人口は14万人の都市です。

オリーブとオリーブオイルの生産で有名なナブルスは、中世からその名を知られ、エジプトやシリアにもオリーブを輸出していました。

旧市街も見ごたえのあるナブルス。人口も多く活気があります。

パレスチナ西岸地区北部の商工農業の中心として、旧市街・新市街共に、非常に活気で溢れています。

パレスチナ土産にオリーブの石けんを選ぶなら、ナブルス・ブランドが一番オススメです。

また、パレスチナのスイーツとして外すことのできないクナーファは、ここナブルスが最も有名。町のお菓子屋さんで是非、焼きたてのクナーファを試してみて下さい。

ナブルスの歴史

紀元前20世紀ごろ

ナブルスは古代「シェケム(Shechem)」という名で、旧約聖書に登場。

この頃には既に、オリーブやぶどうなどの交易の中心地として発展していたと言われる。

紀元前2世紀

何度かの攻防を経て、紀元前2世紀にユダヤの王ヒルカノス1世によって破壊される。

72年

ローマ帝国のティトゥス帝によって「フラヴィア・ネアポリス(Flavia Neapolis)」という町がシェケムがあった場所の近くに作られる。

Neapolisとはギリシア語で「新しい町」という意味で、「ナブルス(Nablus)」の名前の原型となる。

次第にローマ帝国の都市として発展し、闘技場・劇場・競馬場や石畳の道が作られ、これらの遺跡は現在も旧市街やその近くで現在も見られる。

4世紀

コンスタンティヌス帝の時代にキリスト教が公認されると、キリスト教徒とサマリア人(ユダヤ人とアッシリアの移民の間に生まれた子孫)の対立が深まり、サマリア人は迫害され排除される。

636年

イスラム勢力に制圧される。

ネアポリスは急激にイスラム化・アラブ化され、教会は殆どモスクに変えられる。このウマイヤ朝の時代に、町の名前も「ナブルス」とアラビア語読みになった。

一方でナブルスは、ウマイヤの首都ダマスカスを手本に町づくりが進められ、「リトル・ダマスカス」とも呼ばれるようになり繁栄していく。

1099年

十字軍に制圧され、キリスト教徒やサマリア人のコミュニティーも再び認められる。

1187年

再びイスラム勢力のサラディン王に制圧され、イスラムの戒律が整備される。

13世紀~18世紀

大地震、モンゴル帝国の来襲、ベドウィンの侵略などの災難を経て、その後はマムルーク朝、オスマン帝国の支配下となる。

その間、ナブルスではオリーブオイルを使った石けん生産やお菓子作り(クナーファなど)が発達。

ナブルスの石けんはお土産にも最適。(cc) Kara Newhouse

石けんはイングランド女王にも使われるなど、ナブルスの名前はアラブ世界やヨーロッパでも知られるようになり、また経済の中心地としても知られるようになる。

19世紀後半

オスマン帝国各地で各民族によるナショナリズムの動きが活発化しはじめ、ナブルスでもその機運が高まる。

1920年頃

第一次世界対戦でオスマン帝国が敗れ、イギリスの支配となる。

シオニズム(ユダヤ人のパレスチナ移民)の機運が高まり、危機感をもったパレスチナ人の間で、ナブルスはアラブ国家樹立運動の中心地となる。

1948年~

第二次世界大戦後、ナブルスはパレスチナの他の都市と同様にヨルダンの統治下に置かれる。

1967年

第三次中東戦争後はイスラエルの占領下に置かれる。

イスラエル占領時代には、1980年にナブルス市長はイスラエル軍のテロによって車を爆破されて大怪我を負い、市長の座を追われ軟禁される事件も起きた。

1995年

ようやく占領が解かれ、ナブルスはエリアA(パレスチナ自治政府が行政権・警察権を持つ地区)に指定されイスラエル軍は撤退。

しかし周りは入植地に囲まれ、経済活動も非常に制限されている状態が続く。